株の豆知識 その⑫ アメリカ市場の歴史

こんにちは!証券兄さんです。

前回の豆知識では、日本市場の歴史について書きました。今回はアメリカ市場の歴史についてまとめていきたいと思います。

 

世界大恐慌と「ニューディール政策」

 

戦後の日本経済は特異な発達を遂げましたが、実は、アメリカにも戦後の日本に近い経済体制だった時期があります。

 

 1929年10月24日の午前10時25分。ニューヨークの株式市場にてゼネラルモーターズの株価が80セント値下がりました。これを機に市場は売り一色となり株価が大暴落することになります。

わかっているだけでも株式関係者11名がこの日、自殺をし、これをきっかけにアメリカの株価は下がり続け、やがて、この景気悪化は世界へと広がっていくのですが、この世界大恐慌の原因はどこにあったのでしょうか。すこし、詳しく見てみましょう。

 

1929年の少し前に世界では大きな出来事がありました。1914~1918年の第一次世界大戦です。この戦争では、主にヨーロッパが戦場となりました。この頃、アメリカはヨーロッパに軍事物資や工業製品など大量に輸出し大きな利益を得ていたのです。戦争が終わってからも、それまで世界の工場といわれていたヨーロッパがその機能を果たせなくなると世界経済の中心はアメリカへと変わっていきました。

こうなるとアメリカは、もう絶好調なわけです。広い家を建ててみたり、当時はお金持ちしか持てなかった車を購入してみたり…。また、増えたお金はもっと増やそうと株に手を出す人も多くでます。

ただ、アメリカの企業の株を買っていたのは、アメリカ人だけではなく世界の投資家の多くが買っていたのですが。戦争で疲労した自国の企業の株を買うよりも順調そうに見えるアメリカ企業の株を買ったほうが儲かりそうですからね。そうなってくると、もはやアメリカ企業の株価は本来の企業価値など関係なくどんどん上がってしまう銘柄も出てくるのです

 

しかしながら、そんな状況が長く続くわけがありません。当時のアメリカの好景気の要因は第一次世界大戦によってヨーロッパが疲弊していたこと。そのヨーロッパが復興してくるとアメリカでは雲行きが怪しくなっていきます


まずは、農業です。ヨーロッパ農業が復興してくるとヨーロッパからのアメリカへの注文が減ります。自国である程度まかなえてしまうとアメリカに頼る必要もなくなります。さらに、冷凍運搬のシステムが当時普及し始めます。こうなると安いラテンアメリカの肉や農産物がどんどんアメリカに入ってくるようになるのです。

 かつては、安いといっても腐っちゃったら何にもならなかったわけですが、冷凍システムが発達してくるとその心配もなくなるから安いラテンアメリカ産も物が売れるようになりました。また、干ばつなども農業不振に追い討ちをかけます。これで、農業恐慌がアメリカで起きるのです。

 

次に工業。こちらも同様にヨーロッパの復興によりアメリカ製品が売れなくなっていきます。さらに、アジア諸国の安い労働賃金の国もアメリカにとってのライバルとなっていきます。これで工業も不振に陥るのです。

 

そして最後は輸出。アメリカ政府は、当時かなり高い関税を輸入品にかけていました。当然のように各国もこれに対抗しようとアメリカからの輸入品に高い関税をかけます。アメリカにとっては、関税を高くすれば、安い輸入品が入ってきづらくなり、自国の産業を守れるというメリットがありますが、相手国にまで高い関税をかけられたら輸出品が売れなくなるのです。これで、アメリカは輸出不振にも陥ります。


そして、ついにその日がやってくるのです。株価大暴落。ゼネラルモータースといえば、超が付く有名企業ですよね。アメリカを代表する企業の株価下落に吊られるようにUSスティールという鋼鉄メーカーの株も下がり、次々に他の企業の株価も落ち続けます。これが「
暗黒の木曜日」といわれる10月24日の出来事です。週末にはいったん持ち直しますが、週明けには売り一色。株価大暴落となるのです。

 

その世界大恐慌から立ち直ろうと、F・ルーズベルト大統領が採用した「ニューディール政策」を行いました。ちなみにニューディール政策は公共事業を積極的に行うものです。

「大きな政府」が積極的な財政支出を行い、産業界にも介入して需要と雇用を創り出そうとしたので、自由競争は制約を受け、株式の存在感は薄まりました。

 

 

大きく低下した世界通貨ドル

 

ニューディール政策はある程度の成果をおさめたので、第二次大戦をはさんで戦後のアメリカでも経済政策の基本として受け継がれます。しかし、米ソ冷戦の軍拡競争、ベトナム戦争への出費などが重なって財政赤字が拡大し、ヨーロッパ、日本の躍進やインフレも手伝って世界通貨ドルの価値は大きく低下します。

 70年代後半には自動車など代表的な産業も勢いを失って失業率が高まり、アメリカ経済は「病人」視されるようになりました。

 

 

「レーガノミクス」と「ファンド」の登場

 

その病人に荒療治を施したのが、1981年に就任したレーガン大統領です。レーガノミクスと呼ばれる経済政策は、ニューディール政策の逆をゆくものでした。財政支出を抑えて減税をする「小さな政府」は産業界にあまり介入せず、規制を緩和して自由競争に任せます。

その規制緩和の恩恵をたっぷり受けたのが金融業界で、自由化でさまざまな金融商品、金融手法が登場し、80年代後半には「ファンド」が表舞台に登場します。

 

世界中から資金を集めて運用し1ドルでも多くの利益を追求するファンドは、株式市場を活性化しました。1987年10月のニューヨーク市場の株価大暴落「ブラックマンデー」で痛手を受けますが、1989年に冷戦が崩壊し、資本主義の市場が一気にひろがるとますます急成長します。
当時、「平和の配当」と言って軍事技術が民間に移転し、デリバティブと呼ばれる高等数学を駆使した金融テクノロジーが発展したことも追い風でした。

 

主役に躍り出た個人投資家たち

 

インターネットが登場し「IT革命」が叫ばれた90年代、アメリカの株式市場は膨張を続け、ニューヨーク市場は史上最高値を更新し続けます。その主役は、儲けるために企業買収までするファンドと、ネットを活用してプロ顔負けの技を駆使する個人投資家でした。

さまざまな経済事件も起きていますが、世界のマネー、株主を最優先に考えざるを得ない企業、ファンド、個人投資家を巻き込みながら、今日も猛スピードで動いています。

 

 

まとめ

 前回の記事書いた通り、日本の経済危機は1990年代を発端に2000年後半になって個人投資家がでてきました。アメリカの場合は1990年代後半にはすでに個人投資家が活躍するようになりました。この10年以上の差が、今日の経済レベルの差に繋がっています。米国株に投資する際は日本よりもさらに高いレベルが必要とされると考えましょう。

 

 

今回も読んでいただきありがとうございました。疑問点や質問等がありましたらご意見下さい。次回もよろしくお願いします!

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