株の豆知識 その⑧ アメリカ・日本 株式市場の歴史

こんにちは!証券兄さんです。

証券兄さんでtwitterをはじめました。まだあまり使い方がわかっていませんが…twitterの方もボチボチ書いていきたいと思います。今回は、twitterで米国株について書いてほしいとコメントをいただきましたので、何回かに分けて書いていきたいと思います。

 

 

株式投資の歴史 アメリカ編

 

西部開拓と共に起きた株式投資ブーム

 株式会社の制度が誕生したのは17世紀のオランダですが、株の取引が盛んになり、一般市民の間に株式投資が広まったのは、19世紀の新興国、アメリカ合衆国でした。

当時のアメリカは西部開拓時代で、郵便、銀行、電信、鉄道、新聞など近代社会の基本的なしくみが急速に整えられました。鉱山の開発、鉄道業、石油の採掘など新しい産業が次々に興って、ちょっとお金持ちの市民の間で株式投資ブームが起きる条件が揃っていました。

 

鉄道会社が雲隠れ?

 南北戦争が1865年に終わり、1869年に大陸横断鉄道が完成した頃、アメリカは空前の鉄道建設ブームに沸いていました。

鉄道会社が雨後のタケノコのようにでき、株券を発行して出資を募りましたが、中にはレールを敷く間もなく雲隠れするような会社も現れ、大損する投資家が続出しました。今のように制度が整っていなく、騙そうという人も非常に多かったそうです。

それに懲りた投資家たちは、資金が欲しいのなら、1790年に設立されていた(なんと今から227年!)ニューヨーク証券取引所に株式を上場するよう、要求するようになります。徐々に公平な株式取引の場が整えられていきました。

 

証券取引所への上場、その理由は?

 なぜ、投資家は株式の証券取引所への上場を要求したのでしょう。それは、その会社が「投資してください」と言って流す宣伝文句よりも、証券取引所が発表する株価の数字のほうが、はるかに信用できるからです。

同業の他の会社よりも株価が高ければ、投資家からの評価が高いから投資する価値がありそうだと、客観的に判断できます。もし株価がかなり安ければ、「この会社は危ないんじゃないか」と、投資を避ける判断ができます。

現代の株式投資スタイルの完成

 19世紀後半、ニューヨーク証券取引所の上場企業数は急増し、取引仲買人の証券会社が周辺の「ウォール街」に集まります。ウォール街の歴史は100年以上のものになるのです。

義務教育で学んだ、1919年の世界恐慌もこの「ウォール街」を中心として起きましたね。学校で学んだことも今となってすごさが実感できるものですね。

投資家はたとえ西部の片田舎に住んでいても、銀行の窓口からウォール街の証券会社にあらかじめ送金しておけば、新聞の株式欄で前日の株価を確認しながら、電信で売買注文を伝えることができました。その以前は会社の社員と直接取引をしていたのを考えるととても便利になりました。また報告書は後日、鉄道を利用した郵便で届きます。

こうして現在の株式投資のスタイルがほぼできあがりました。

世界の金融中心地へ

 ニューヨーク周辺だけでなく全米から、ちょっとお金持ちな市民の投資資金を集めたニューヨーク証券取引所は大発展し、海の向こうのヨーロッパからもお金が集まってきました。

19世紀末から興った石油精製や鉄鋼、自動車などの重工業は工場建設や設備に巨額の資金が必要でしたが、ここなら比較的容易に調達できました。こうして新興国アメリカは大産業国家へと急成長し、ニューヨークは世界の金融の中心地になっていったのです。

今のアメリカの成長は、株式市場の発展と共にあったのです。

 

株式投資の歴史 日本編

 

 

戦後も維持された日本の経済構造

 戦後の日本経済の特徴として、官僚主導、重工業中心、大企業中心、間接金融(銀行融資)中心、終身雇用、年功序列などが挙げられますが、それらは第二次大戦直前の「国家総動員法」で、軍需物資の生産のために完成しました。

1945年に日本は戦争に敗れますが、矢継ぎ早に改革指令を出したGHQ最高司令長官、マッカーサー元帥も経済構造はほとんど変えませんでした。日本経済を戦災から早く復興させるためだったと言われます。

後に、当時のアメリカ政府が日本の経済に規制を設けなかったことを非常に後悔したとも言われています。

「護送船団方式」に代表される独特な経済

 日本経済は戦災からの復興を成し遂げ、高度成長時代に大きく発展しましたが、戦争遂行のために作られた経済構造はその後も長く生き続け、アメリカなどとは異なった独特な経済ができました。

その一つが、監督官庁が外国企業の参入を阻むなど規制をかけて業界を指導し、一人勝ちする企業も落伍する企業も出さない「護送船団方式」です。自由競争とは全く異なる環境のもとで、国民一人ひとりの経済格差が小さい社会ができました。

現在は、この方針の影響のせいで「パナマ文書」を代表するタックスヘイブンにつながっています。ただ、経済成長期には格差をなくすことが大事なことでした。

企業買収は「敵」?

 東京証券取引所は1949年に再開され、株の取引が復活しました。しかし、アメリカでは日常茶飯事だった株を買い集めて企業を買収する行為は、日本の中堅以上の企業ではほとんど見られませんでした。それは企業どうしがお互いに株を持ち合い、買収されるのを防いでいたからです。

これは、日本とアメリカの精神性の違いと言われています。アメリカ人は開拓の心を持ち、あくまで「会社」は「会社」でしかありません。ところが日本人は「会社」を「家」と考え、大きな愛着を持っています。そのことがこのような買収をしにくい風土を作り上げました。

株主総会も全議案可決であっと言う間に終わります。護送船団方式にとって企業買収は「敵」でしたから、監督官庁にとってもそれは望ましいことでした。

株が軽視されたわけ

 「株」が戦後の日本経済で、他の先進国よりも軽く見られていた最大の理由は、企業が資金を調達するとき、その大部分を銀行からの貸付に頼っていたからです。

たとえば新工場を建てるとき、投資家に募集をかけて新株を発行するような直接調達よりも、銀行の幹部に頭を下げて融資を受ける間接調達のほうがずっと重要でした。そのことが証券会社よりも銀行を大きな勢力とすることになりました。

 

「預金は堅実、株はギャンブル」?

 高度成長時代は一般市民も株を軽視し、資産運用の脇役でした。「銀行はつぶれない」という安全神話があり、元本保証に上限なし。定期預金は1年で3~6%の利子がつき、おまけにマル優制度で非課税でした。株は元本保証ではない上に売買手数料がけっこうかかり、値上がり益にも配当にも課税されますから、歯が立ちません。

そして何よりバブルの崩壊がありました。このことから日本人の中で株を買うのは博打という考えが広まり、預金が優れているという考えが広がりました。アメリカでももちろんこのようなバブルは何度も起こっていますが、その度に学び次へと繋げてきた歴史があります。

しかし、歴史も浅く具体的な対策もないままバブルが崩壊になった当時はそれはひどいものだったそうです。

その頃から「預金は堅実、株はギャンブル」という偏見が生まれ、個人投資家は色眼鏡で見られるようになりました。

 

いかがだったでしょうか。歴史を学ぶことでどういった成り立ちで市場が出来ているのか、投資家がどのような考え方をしているかの参考になります。詳細は個人の好みで勉強すればいいと思いますが、概要についてはぜひとも把握しておきましょう。

 

 

今回も読んでいただきありがとうございました。疑問点や質問等がありましたらご意見下さい。次回もよろしくお願いします!

 

 

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